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食物によるヒーリング

I:それでは、食物によるヒーリングを教えていただきましょう。食べ物が病気を治すことを知ったのですね。

 

理解してほしいことは、私はコミュニケーション中枢がやられていたので、とにかく、最初に本を読んだのは22歳だった。シッダールタの本はたった82ページぐらいだが一日16時間かけて1週間かかった。単語の意味がわからないのだ。単語の意味を調べても、その意味の意味がわからず、さらにその意味は・・・と、くりかえした。

 

そうやって言語コミュニケーションの仕方を学んだが、うその情報をたくさん学んだ。悪いことを学んだのだ。ベジタリアン主義や、健康的でない過激的アプローチだったが、私の健康はどんどん増進した。ある人の栄養学を学んだら、70,75%を生で食べること、生乳、生卵を食べることを唱えていたが、まだ生肉とは言ってなかった。そしてどんどん健康になっていった。それで、27歳までにローフード、ベジタリアン、フルーテリアンになっていた。トータル6年半はビーガンだった。

 

それで、一時的には健康だったが、悪化しはじめた。乳も卵もとらず、その2年半の期間で悪化した。その頃、自転車に乗って自然の中で生活していた。動物たちは健康で、学んでも学んでも医療界には本当の健康はないとわかったからだ。

 

私は頑固なので、体に悪い兆候があっても、その食べ方を続けていた。

 

I:視聴者の立場でいいますと、血液型や民族型などによっても、体にいいものや悪いものは違うのではないか、食事法はそれぞれでよいのではないか、という見方があります。私は20年間、卵と乳をとるベジタリアンでした。卵と乳をとっていたので、それくらい長く続けられたと思いますが、それでも病気になりました。そして最終的にはベジタリアンをやめました。あなたは厳格なヴィーガンを続けられました。体にはどんな現象がありましたか?

 

私には、貧血、血癌、骨癌があった。ヴィーガン生活は2年半で十分だった。体重は44.5kに下がり、骨がもろくなり、白血病を再発し、悪化していた。その頃は自転車で屋外生活をしていた。屋外生活のストレスは大変なもので、気温の上下は激しく、-7°にもなる。嵐、日照り、暴風雨、吹雪もある。そんな中でも自転車のりで、屋外で寝袋生活。たいへんなストレスの中を暮していた。

つづく

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児童喫煙

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15歳半のとき、三度目のポリオ注射を打った。そして狭心症になった。また、青年糖尿病になった。それは現在の医療では治らないと言われている。

狭心症と、そして19歳までに、潰瘍があり、アルコール中毒、薬物中毒だった。

とにかく、疲労感が強く、8歳までに煙草をはじめ、ニコチンでエネルギーをもらった。夜にはキッチンに忍び込み、コーヒー関係のものがないかを探した。それを容器に入れて、ベッドに持って行った。そうしなければ、朝起きることができなかったのだ。また、耐えがたいほどの痛みで、スポーツができないし、体を動かせなかった。

19歳の私は、とにかく、酒、コーヒー、またクスリやたばこをフィルターなしで吸い、なんとかエネルギーをもらっていた。

19歳を超えると、潰瘍のため血を吐きはじめた。その治療過程で血癌、骨癌をもらった。

最初からいうと、まずもらったのは胃潰瘍で、その手術で胃の迷走神経を切られて塩酸が出なくなった。80代の胃と同じになり、もうタンパク質を消化できなくなった。

その治療のせいでガンを生じやすくなったのだ。

そのガンの治療が放射線療法。それで血癌、骨癌を発症し、背骨を焼かれた。何センチか体を動かすだけで背中に耐えられない痛みが走った。

それに対する治療がキモセラピー(化学療法)だ。その結果、とにかく体の痛みで立って動くことができない。床の上で排便し、それにまみれていた。その頃は20歳になっていた。

21歳では死ぬと言われていた。

 

{I:現在、それから何十年かたっていますね。あなたの自分流のヒーリングの旅が始まるわけですね。医療モデルは何も効かない、効かなかった。また、あなたは、とにかく敏感であらゆるものに反応した。そして、好奇心と言うか、自分に効くものをみつけてマスターし始めますね。}

 

ヒーリングの旅は、私の死からはじまったようなものだ。ビバリーヒルズの小さな家で死にかけた。とにかく、トイレまで行けないので、床で排尿した。そして、終わると違うところへはっていった。ホスピスには入りたくなかった。そこでは人が死んでいくし自閉症だから人とは生活できない。それで2人のボランティアが週に2,3回来て世話してくれるようになった。

つづく

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