月別アーカイブ: 2012年7月

食中毒は加熱した食品でおこる

臨死、それとも?

 

私には3度の臨死体験があり、レクレーショナルドラッグで倒れた私を蘇生していたとき、幽体離脱もしたが、痛みがまったくない。痛みは肉体とともにおいていくのだ。それと同じ体験だと思った。

 

そして翌日、目が覚めるとまだ寝袋の中で生きている。白いトンネルも、イエスの迎えもない。肉体の中にいる。しかも、かなりよいエネルギーがあり、三日四日と続き、死なない。何も悪いことがおこらない。

インデアンたちはうそをついていなかった。生の肉を食べろと言っていたのは。

 

その後、シマリス、鳥、サソリ、タランチュラなど、罠にかけてなんでも手に入るものは食べた。ただ毒腺だけは除いた。

 

I:そのような話で皆怖がるのです。ものすごく原始的な話になりますから。

 アジアに行けば、日常茶飯事ですよ。

 

I:西洋の理解では、ちゃんとお店で買ったお肉を焼いて、中身が生でも、いいんです。ただ、あなたのように狩りでとったのをそのまま食べるのは、「生」なんです。店で買ったものは半生のステーキでもいいんです。この心理的な違いが人々を怖がらせます。それで、あなたが非常に問題な人だとなってしまう。何が起こっているのでしょう?本能的存在として、それを私たちが処理できなくなったというのは?

 

それはコンディショニングですね。恐怖をもつように教えられている。世界で一番バカなことだ。歴史上、生の食べ物は数多く存在する。ステーキタルタル、生肉、生卵、ドイツ人は他に比べてよく食べる。ステーキタルタル。フランス人も。また、カルパッチョも、完璧な生肉だ。

 

レストランで食べさえすれば、違うんですよ。でも、あなたは、個人的にそれに立ち向かった。

ウサギの次に食べたのは、ガラガラヘビだった。骨が多くて食べにくかった。チキンというより、魚の刺身みたいだった。

 

I:あなたの場合は、そういった環境にいたから、なんでもそこで手に入るものを食べた。それで、どれぐらいの期間で体に力が戻ったのですか?

 

1週間ほどワナをかけたりしたが、それほどとれなかった。体重は43キロだった。そこの農業地帯を自転車でまわった。そこではデーツや柑橘系の栽培が多かったが、その他ブタ、ヤギや家畜、乳牛を飼っていた。それで、農場主たちと話をつけて、乳しぼりをやって生乳を飲ませてもらったりした。また、その他の必要な食物を手に入れた。毎日生乳を1ガロン、バターを1~2本およそ100gほど。チキン、卵、なんでも食べられるものを食べた。そうしながら2か月半で22キロ体重が増えた。そして、縮小シュワルチネッカーみたいになった。人生ではじめて筋肉と言うものを手に入れた。小さいときは太っていたが、糖尿になってからはやせていた。

 

I:もちろん、生の脂肪、生のタンパク質のためでしょうが、同時に労働もしたのですね。そして、短い期間でシュワルチネッカーになった。その後、なにをするようになりましたか?

 

ロサンジェルスに戻り、生肉がすごいとふれまわると、皆に、「とうとう頭がおかしくなった」と言われた。

「まあたしかにそうだったよ~何度もね」と、私。人生のほとんどは頭がおかしかった。22年間。しかし、これほど、健康的で安定的な肉体はこれまで味わったことがないので、確信していた。

 しかし、3年も、「おまえ、頭がおかしい」と言われ続けたので、そうかもしれない。今度病気になったら、そろそろ生肉が私の体をむしばむぞ、とも思った。

 

13年生肉を食べたが、10年間は恐怖だった。しかし、私は迷走神経を切られたのに、生肉を食べ続けて13年間、吐くことも下痢もまったくない。それで、これは変なことが起こっているぞと思った。そこで、全く理解できないので、主要な医学大学へ行き、生肉が本当に寄生虫侵入につながるかの実験、研究を探した。たった1件もなかった。

 

I:細菌やばい菌による中毒で皆恐怖を感じています。生卵、生乳などを飲むと、病気で死ぬといいますが、実際の統計はかなり違うのです。95,6%は、料理した食べ物から中毒はおこりますね。

 

99.999%だ。

アージョナスのインタビュー訳 つづく

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「生」を食べて生還-コヨーテが教えた智慧

仕事や感情的ストレスをいろいろと言う人々がいるが、屋外生活程のストレスはない。

ストレスがなんであるかを皆は知らないのだ。冷暖房完備の家が普通だと思っているが100年前まではそういった気候的ストレスがあった

 

そんな中で、私は厳格なフルータリアン(木食者)だった。乳も卵も肉もまったくゼロだった。

これで完全に健康は崩壊した。もう死のうと思った。

気温10°になると激しい関節痛になり、9°では耐えがたい痛み、もう動けなくなった。

 

自分を餓死させようと思い、カリフォルニアにあるインディアンの埋葬場所に行った。そもそも、アラスカのエスキモーと暮らし、インディアンの四つの部族と暮らしたが、彼らは皆生の肉をすすめていた。しかし私は、「ああ、そうやってこの白人青年を殺す気だな」と思っていた。ここでも、洗脳されてきたことが頭にあり、生の植物は食べていたとしても、生の肉は決して食べなかった。迷走神経を切られたので、胃酸がない。食べると寄生虫が入り、死ぬ。と固く信じていたのだ。

 

私はカリフォルニアのインディアンの墓場に行った。そこは、セント・マルティナス山脈のふもとで、頭痛を去らせるために水だけを飲んだ。おそらく40から60日ぐらいのことだと思った。

 

近くにコヨーテたちの洞穴があり、毎夜、夜中に起こされた。ハウリングをしたりして、私と遊ぶかのようだった。おぼろげだが、10日目か12日目、コヨーテたちが私のキャンプサイトの周りを回り始めたのを感じた。そして11匹いるのを感じ取った。

 

次の日の夜、彼らはウサギをしとめて裂き、私の足元にもってきた。私はまた哲学的ベジタリアンで、動物愛護の観点から動物を殺さないし、食べることもないと決めていた。目の前を見るとそのウサギは裂かれていて、血まみれでぐっしょり水っぽかった。

 

そして10歳ごろのできごとが思い出された。兄といとこたちがウサギ狩りに行くと言い、おじが、「ウサギがとれたら、茶色になるまで加熱して食べないと死ぬぞ」と話していたことだった。

 

野生のウサギには特有の細菌がいて、48時間以内に小腸に到達し、そうなると激痛を持って死ぬと。

「そうか。なるほど、コヨーテたちが速く死ねるように私を手助けしているのか」と思った。それで、ウサギを食べた。毒のある植物を食べたら吐いたりするので、そうなるだろうと覚悟した。

 

しかし、12回目ぐらいかみついたところで、ものすごくおいしいのを感じた。そのとき1.5キロぐらい食べた。コヨーテが残りを食べ、キャンプにもどった。こんなに気分がいいのは、これから死ぬからだと思っていた。

つづく

アージョナスのインタビュー訳

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食物によるヒーリング

I:それでは、食物によるヒーリングを教えていただきましょう。食べ物が病気を治すことを知ったのですね。

 

理解してほしいことは、私はコミュニケーション中枢がやられていたので、とにかく、最初に本を読んだのは22歳だった。シッダールタの本はたった82ページぐらいだが一日16時間かけて1週間かかった。単語の意味がわからないのだ。単語の意味を調べても、その意味の意味がわからず、さらにその意味は・・・と、くりかえした。

 

そうやって言語コミュニケーションの仕方を学んだが、うその情報をたくさん学んだ。悪いことを学んだのだ。ベジタリアン主義や、健康的でない過激的アプローチだったが、私の健康はどんどん増進した。ある人の栄養学を学んだら、70,75%を生で食べること、生乳、生卵を食べることを唱えていたが、まだ生肉とは言ってなかった。そしてどんどん健康になっていった。それで、27歳までにローフード、ベジタリアン、フルーテリアンになっていた。トータル6年半はビーガンだった。

 

それで、一時的には健康だったが、悪化しはじめた。乳も卵もとらず、その2年半の期間で悪化した。その頃、自転車に乗って自然の中で生活していた。動物たちは健康で、学んでも学んでも医療界には本当の健康はないとわかったからだ。

 

私は頑固なので、体に悪い兆候があっても、その食べ方を続けていた。

 

I:視聴者の立場でいいますと、血液型や民族型などによっても、体にいいものや悪いものは違うのではないか、食事法はそれぞれでよいのではないか、という見方があります。私は20年間、卵と乳をとるベジタリアンでした。卵と乳をとっていたので、それくらい長く続けられたと思いますが、それでも病気になりました。そして最終的にはベジタリアンをやめました。あなたは厳格なヴィーガンを続けられました。体にはどんな現象がありましたか?

 

私には、貧血、血癌、骨癌があった。ヴィーガン生活は2年半で十分だった。体重は44.5kに下がり、骨がもろくなり、白血病を再発し、悪化していた。その頃は自転車で屋外生活をしていた。屋外生活のストレスは大変なもので、気温の上下は激しく、-7°にもなる。嵐、日照り、暴風雨、吹雪もある。そんな中でも自転車のりで、屋外で寝袋生活。たいへんなストレスの中を暮していた。

つづく

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あなたの体の99%は細菌

Aajonus, founder of the Primal Diet

Aajonus, founder of the Primal Diet

 

ボランティアたちは私のために買い物をしたり、必要なものをとって来てくれたりした。また、ドーナッツとコーラをブレンダーでまぜて食べさせてくれた。

放射線治療ののち、口の周りの骨が溶けたので歯が全部ぐらぐらした。自分の歯でかむと出血して数時間続いた。それで、週に二回の輸血をした。また、クリスピーライスもよくくれた。砂糖だらけだ。さらに4さじの砂糖をいれた。そうして加工乳が消化できるようにした。

 

ある時、この若い18歳のアフリカ系アメリカ人の少年が生のニンジンジュースと生乳をくれるようになった。私は21歳で、この18歳の若い青年は歌手でお金はたくさんもうけていた。10日ほどニンジンジュースと生乳をのんだら、自閉症が止んだ。もちろん、すぐには全快しない。歯や骨も治るのに2,3年はかかる。

 

また、料理しないものは食べてはいけないと言われていた。バナナもリンゴも蒸して食べた。そうしないと死ぬと言われていた。つまり、ばい菌や寄生虫が入ったら私には胃酸がないので、それらを殺せない。

全部医療界の神話だ。ナンセンスなのだ

 

I:生のジュースや生乳からの生きた酵素で回復にむかったのですね。

 

酵素に、生きているとかいうのはなく、それはタンパク質だ。菌は生きている。

体を見ると、99%が細菌だ。抗生剤を飲むたびに自分の体の細菌を破壊しているのだ。

抗生剤を5日続けると、細菌の1%は死ぬ。それによってあなたの活動や機能が破壊される。10日や何週間も、何年も飲む場合がある。

 

私の母は聞こえが悪く、補聴器をインプラントしていた。ドクターはその期間抗生剤を飲むようにとした。その結果、母は消化できなく、機能できなくなり、死にかけていた。それで、私は彼女にパパイヤをあげて消化をたすけ、それで母は生き返った。実際、母のところへは「さよなら」を言いに行ったのだが。私の息子を生き返らせたのも同じようなことだった。どちらも食べ物であの世から引き戻した。

 

つづく

(多くの病を直し、完全な健康体を作り出す「プライマル・ダイエット」創始者、アージョナスの劇的な半生についてのインタビューの続きです・・)

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